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「白と黒」 作:Culias


「ふぅ・・・。」
さらり。
風が優しく頬を撫でる。
こんなに心地よい風を受けたのは初めてかもしれない。
青色にポツポツと、見たことのないくらい綺麗な、白色の雲が浮かんでいる。
カラっと渇いた空気の中、俺の目の前には、見渡す限りの田んぼが広がっていた。
後ろには、俺が今まで乗っていた電車が、大きな音をたてて次の駅へと、その巨大な車輪をフルに使って走っていく。
音が、風が、空が、動きを止めた。
まるで全ての時間が、少しの間止まったような感覚。
いけない。
呆けていては日が暮れるまでにたどり着けないかもしれない。
くんっ、と背を伸ばして、無人の小さな改札を抜けて地面に立ち、そのまままっすぐと歩き始める。
田んぼと田んぼの間の狭く小さな道を一人で歩いていくが、誰かに捨てられたような錯覚に陥った。
・・・音楽でも聴くかな。
ポケットから、都会ではほぼ誰しもが持っている有名なMP3プレイヤーを取り出し、購入時にセットでついていた安物のイヤホンを取り付けて、耳に装着。
フォルダの中を一通り漁り、曲名を目にするたびにフレーズを頭に思い浮かべるが、気分が乗らないのか聞きたい曲がない。
でも、どうせ取り出したのだからと、ランダム再生にして放置することにした。
しかし、やはり流れてくる音楽は今の気分にそぐわず、次の曲次の曲へとボタンを押す。
・・・もういいや。
結局、取り出したのはいいものの、まともに聴かずにポケットの中へとしまいこんだ。
田んぼの連なりにも終りが見えてきて、辺りには木が増えてきた。
確か、この道をまっすぐ・・・
「そうそう、これこれ。」
記憶の中のかすかなイメージを頼りに、辛うじて道だと判断できる獣道をざくざくと進んでいく。
この林を越えれば、町の商店街にたどり着くはず。
踏んだ小枝がぱきりと鳴り、風に押された木々がざわざわと葉を揺らす。
足元に注意しながら、ただひたすらそんな道を進んでいった。
しばらく歩くと、少し開けた場所に出た。
真ん中に大樹が一本、今までに見たことのある樹の何倍も大きい。
人が横に三人並んでも、全員が隠れられるくらいの大きさはあるだろう。
その樹を見て、なんとなく力が抜けてしまった。
少しだけ樹の下で休むことにした。
長旅で疲れていたのだろうか、こんなに早くバテてしまうなんて。
かばんを脇に置いて、すわり、樹の根を枕にして寝転がる。
以前はこんなものがあっただろうか。
記憶にないというのもおかしな話であるが、全く覚えていない。
「にしても、こんな大きな樹があるんだな・・・なんて樹だろう。」
特に植物に興味はないものの、こんなに大きな樹となるとやはり気になるものである。
「樹だけに、な。」
何も聞かなかったことにしよう、と自分から逃げつつ、深呼吸を一回。
頬を撫でる風が心地よくて、しかも木漏れ日が暖かい。
あまりにも心地よすぎて、瞼がどんどんと落ちてくる。
少しくらいなら大丈夫だろう、と眠気に勝てない自分に言い訳をしつつ、そのまま目を閉じる。
抗うことなく、俺は眠りの中へと吸い込まれていった。



しゃん・・・。
「・・・?」
子供の寝息のような、小さくてやわらかい音が聞こえる。
しゃん・・・。
それが鈴の音だということに気がついたのは、もうまもなくのことだった。
しゃんしゃん・・・。
どこから聞こえてくるのか全くわからない。
方向感覚がなくなったような、不思議な感じがする。
しゃん・・・。
俺を、呼んでる、のか?
鈴の音で一体何を伝えることが出来るのか。
そんなことは妄想でしかないと思いつつも、しかしそうだと思ってしまうとそのような気がしてならない。
しゃんっ。
ひときわ大きく聞こえる鈴の音。
それが聞こえたその直ぐ後。
目の前には、二匹の狐が佇んでいた。
”黒い”、そして”白い”狐が一匹ずつ―――。

っ!?
カァ・・・カァ・・・!
目が覚めたとき、空は既に夕焼けで赤く染まっていた。
辺りを見回し、しばらくぼぅっとしていると、だんだん意識がハッキリしてくる。
「寝すぎた・・・か?」
腕時計で時間を確認すると、今から向かっても遅刻が確定している時間だった。
まどろんでいた頭をカチンと切り替え、素早く立ち上がりかばんを持ってそのまま駆け足。
「さっさとここを抜けないと・・・。」
林や森の中を夜に移動するのは得策ではない。
迷ってしまうと、戻ってこれる保障がないからだ。
目を凝らしながら走っていると、足元に獣道を見つけた。
それに安心してか、速度も早歩き位に減速。
直に林を抜けるだろう。
沈みかけた日の光を見ながら、俺は薄暗い林を歩き続けた。



・・・なんでだ?
何時間歩いただろうか。
先ほどから時計の針が何故か動いていないのも妙である。
空腹も何故か感じない。
疲れも全く感じず、まるでずっと時間が止まっていたかのような。
進むごとに木が増えてきている。
時が止まっているように感じても、俺はどんどん奥深くに進んでいるようだ。
夕日の光も、木漏れ日に隠れて少しだけしか届かなくなってきた。
これではまるで森である。
こんなところ、通ったことがない。
焦りはそのまま行動に出るのか、次第に歩く速度は早くなり、いつしか駆け足になっていた。
小刻みに吐き出し、吸い込む息の音も、今は聞き取れない。
何だ・・・?
何だよ・・・?
何なんだ!?
心の中での叫んだ言葉は、口に出したかったものなのだろうか。
音にはならず、ただひたすら心の中で反復を続ける。
それでもひたすら叫んでいるのに、口を動かしているのに、何か違和感を感じた。
声が、出ない。
そのことに驚いている間もなく、がさりと草むらが揺れる音がした。
何か気配がある。
その何かに縛り付けられたかのように、立ち止まった。
「・・・何か、聞こえる?」
何故だかはわからないが、さっきまで動かなかった口が、自然と開いた。
まだ数時間しか経っていないだろうに、何年も口を開いていないように口内が乾いていた。
―――ぉ〜ん・・・。
鳴き声、か・・・?
くぉ〜・・・。
小さなその音は、確かに何かが鳴いている声に聞こえた。
今にも消えてしまいそうなそれは、助けを求めているようにも聞こえる。
行ってみるか・・・?
もしそうであるならば、助けに行くべきだろう。
けれど、それでまた状況が悪化したらどうする・・・?
今既に意味のわからない状況にある自分を、さらに良くない方向へ突き落とそうというのか。
聞こえてくる鳴き声は、次第に小さくなっていく。
やっぱりその声が、俺には助けを求めているような声に聞こえて・・・。
くそっ。
気がつけば、俺は声のする方へ駆けていた。
声は先ほどとは逆に、だんだん大きく、はっきりと聞こえるようになる。
ただ、それでもか弱いことに違いはなかった。
「ここか。」
たどり着いて、そこにあったのは、あまりに珍しい光景。
白い狐の親子だ。
白い狐が存在するのかどうか、それはわからないし、もしかしたら俺の知らない種類の動物なのかもしれない。
だが、姿形は狐のそれとまったく同じだった。
くぉ〜・・・。
さっきまでの声は、どうやらこの子狐が発していたものらしい。
親の狐は地面に倒れており、子狐はそんな親に向かって声を出していた。
近づいて、様子を見てやる。
直ぐにわかる、これなら素人が見たって、誰だって。
すでに、親狐は死んでいた。
くぉ〜ん・・・。
俺が近づいたことにすら気がつかないほど必死に、親狐を眠りから起こそうと、亡骸をユサユサと揺らす子狐。
見ていられなかった。
後ろから子狐を抱き上げる・・・が。
「―――痛ぅ・・・。」
手を軽く引っかかれて、直ぐに逃げられた。
そうしてすぐに、また亡骸の近くへと近寄っていく。
だから次は、言葉で説明することにした。
狐に言葉が分かるはず無いのに。
「・・・お前の・・・母さん、かな。もう死んじゃったんだ。」
その場に座り込み、子狐と目線を合わせるようにして口を開く。
喉から搾り出した声は、普段よりも綺麗に言葉になった。
俺も誰かの助けが・・・話し相手が欲しかったのだろうか。
一人森の中にいるのが、孤独だったのだろうか。
こちらを見もしない子狐相手に、俺は臆面もなく話しかけていた。
「・・・俺も、死んじまうのかな・・・。」
ぽろりと弱音が零れる。
それを頭で理解してすぐ、首を振った。
だめだ、こんなことでは。
目の前には、もっと辛い目にあっているやつがいるんだ。
ちろり。
足に湿った何かが手に触れた。
「・・・。」
手の甲を子狐がなめていた。
心配してくれたのだろうか。
白い狐は、人間の言葉がわかるとでもいうのか。
ただ、その舌の感触がくすぐったくて、気分が楽になったのは確かだった。
「食べるか?」
かばんの中の菓子を、いくつか開けてみる。
空腹だったのか、匂いを嗅ぎ取った子狐は俺の顔と菓子を、ちらちらと交互に伺っている。
「・・・ほら、喰えよ。」
やはり、言葉が分かるのだろうか。
そういった途端、子狐はゆっくりと菓子へと近づき、二度三度匂いを嗅いで鼻で突付き、一気に口に含んだ。
それで勢いがついたのか、パクパクとどんどん平らげていく。
俺も何故かそれがうれしくて、どんどん袋を開けていった。
狐に人間の食べる菓子を与えていいのかどうかわからないが、こいつはきちんと喜んでいるし、きっと問題ない・・・はずだ。
全ての菓子を食べきるのに、そんなに時間は掛からなかった。
あまり量を持ってきていなかったこともあるし、時間の感覚がなかったこともあっただろう。
次の袋を、と思ってかばんに手を入れた瞬間に気がついたのは、食料が全部なくなっていることだった。
最後まで気付かなかった俺ってば一体・・・。
食事を終わらせて直ぐに、俺は親狐の遺体を、近くの木の下に埋めてやった。
土は湿っており、腕の中にいる親狐がすっぽり収まるくらいの穴は掘り返せた。
そっとそこに横たえさせ、上から土をかけていく。
子狐もそれを手伝ってくれた。
埋め終わった後、近くにあった大きめの石を置いて、合掌する。
子狐も一緒に、ただじっとその石を見つめていた。
・・・どうか、この子を見守ってやってくれ。
心の中で祈ったのは、そのことだけだった。
しばらく時間が経ち、ズボンの端が子狐に引っ張られた。
それで今自分が置かれている状況を思い出す。
「さて、どうするかな。」
空を見上げる。
やはり、葉の間から見えるのは、夕暮れ空。
この林に入ってから見た空と、ほとんど変わりない。
何故こうなったのか。
一体、何が起こっているのか。
まったく検討もつかない。
「お前は、何か知ってるか・・・?」
足元に居た子狐に聞いてみるが、すでにそこに姿はなかった。
・・・いつのまに。
溜息をついて、かばんを持ち直す。
何故だろう。
気力がわいてきた。
開き直ったのだろうか、俺は。
どうしようもないのなら、できる限りのことだけでもしよう。
理不尽なことこの上ない出来事だが、もう起きてしまったことなんだから仕方が無い。
こんな考え、さっきまでの俺には出来なかっただろう。
あの子狐に救われたのかもしれない。
不思議と足が軽くなった。
だが、走ったりはしない。
一歩一歩をしっかりと、確かに踏み出す。
気がつけば、ポケットに入れていたMP3プレイヤーを取り出して聞き始めていた。
曲は何でもいい。
ランダムに再生を開始する。
流れてくる音楽は、全てが心地いい。
鼓膜に伝わるリズムにのりながら、林、もとい、森の中を進む。
すると、突然ふわりと、一瞬だけ浮遊感がした。
その瞬間、視界が開ける。
先ほどまでの鬱葱とした森の中ではなく、そう、寝る前にいた、あの場所。
夕焼け空が、何故だか青空に変わっている。
さっきまでいたはずの森が、前にも後ろにも見えなくなっていた。
「何が・・・あったんだ?」
先ほどまでの出来事が、全て夢だったのではないかと言われれば信じていただろう。
だがそれを言ってくれる人は周りに居らず、だから俺は、先ほどのことを夢だと思うことは出来ない。
そう、白い親子の狐のことも―――。
突然、視界が白に染まる。
何も見えなくなる直前、最後に見えたのは先ほどの子狐。
しかし、その事を脳が理解する前に、意識は途切れた。



「んっ・・・。」
意識が少し戻った直後、日の光が瞼の上から容赦なく俺の眼球を攻める。
仕方なく目を開けてやると、青空の中、木の根を枕にして、俺は寝ていた。
寝起きの頭で腕時計を見るが、時間が頭に入ってこない。
二分くらい見つめ続け、やっとこさ頭が活動を始めたらしい、寝始めてからあまり時間が経っていないことがわかる。
「よっ、と。」
上半身を起こして立ち上がり、脇においてあったかばんを持って歩き出す。
「にしても、なんだか変な夢を見たような・・・何だっけ。」
しばらく歩きながらうんうんと唸ってみるが、いっこうに思い出せない。
「まぁ、いいか。」
思考をクリアにして、無意識のうちにポケットからMP3プレイヤーを取り出し、装着する。
ランダムに選曲したつもりが、駅から歩いていた時と同じ順番でかけてしまっていたようだ。
耳に残るフレーズは、記憶に新しい。
「・・・・・・・・・。」
だけど、なぜか次の曲へと流す気にはなれず、イヤホンをつけてのんびりと林を進む。
四曲目が終わらないうちに木がなくなり、原っぱに出た。
「やっと開けた場所に出たな・・・。」
くんっ、と背を伸ばして足を一歩前へ。
そんなに長い間林の中を歩いていた気はしないが、なぜかそう感じた。
原っぱを駆ける風達は、なんとなく、俺をそこまで導いてくれているみたいだった。



木の茂っている林の中、一匹の白い子狐がじぃっと、たった今林を抜けた青年の背中を見つめていた。
風は子狐とその青年の頬を順番に撫で、去っていく。
さらり。
ふと、そこにいたはずの子狐の姿が風にさらわれた様に見えなくなっていた。
「すぅ・・・すぅ・・・。」
変わりにいたのは、女の子。
ワンピースを着た女の子が、小さな寝息を立てながら、じぃっと丸くなっている。
青空も太陽も、それをただ見守るだけ。
日の光が、少女の着ている白いワンピースに反射する。
「んっ・・・。」
少女の瞼が開く。
ぴくぴくと、人間の耳には見えない、ふさふさとした耳が動いた。
瞼をごしごしとこすり、ぼぅっと空を、風を、風景を見つめる。
そのままのそりと上半身を起こし、草むらの上にぽてんと座る。
ワンピースの裾から覗いているふさふさした尻尾が、草むらをなでた。
「あり・・・がと・・・。」
ろれつがあまり回っていない声でそう一言つぶやいた後、少女はふらふらと立ち上がった。
まるで、歩き方を覚えて間もない赤子のような足取りで、青年の背中を追う。
徐々にしっかり歩けるようになり、勢いがつく。
しばらくすると駆け足になって、その勢いのまま追いついた青年の背中へと飛ぶ。
「な・・・!なぁ!?」
何事かと悲鳴を上げた青年は、飛びつかれた瞬間に体をビクつかせた。
「ありがとう!」
「な、何・・・?」
「ありがとう!」
「・・・はぁ、どういたしまして。」
「うん!」
青年の首に巻きつくように腕を回して微笑む少女は、耳をぴくりと震わせて足をばたつかせた。
「こっち!」
とうっ、と首から飛び降りた少女は青年の前を、くるくると回りながら走る。
青年の後ろから吹いてきた風は、少女のワンピースをひらひらと翻させる。
一つため息をついて、青年は少女の後をついていく。
きっとこの少女についていけば、目的地にたどり着けるんだろう。
何の確信もないままそう結論付けて、気がつけば顔には笑みが浮かんでいた。
さて、どうなることやら。
青年はそんなことを考えながら、少女の後を追った。



「本当に、ありがとう。」
少女は草原に立ち、青年を見送った。
ひらりと一度手を振った青年は、それから一度も振り返ることなく歩き去っていく。
さらり、と風が吹いた。
それは少女の髪を撫でて、空へと昇る。
そうして気がつくと、そこに少女はいなかった。
ただそこにいるのは、一匹の白い子狐。
青年のこれからを考えながら、子狐は一度だけ鳴いた。
その鳴き声は風に乗り、青年に届くだろうか。
「・・・ん?」
青年は、立ち止まって後ろを振り向いた。
何かが聞こえた気がしたのである。
しかし、後ろには誰もいないし、何もない。
「気のせい、か。」
青年は踵を返し、既に見えている町へと歩を進める。
「記憶が正しければ、確か入り口には・・・。」
昔の記憶を掘り返しながら、青年は町の様子に想いを馳せる。
ありがとう。
ふと頭に浮かんだ、意味のないフレーズ。
何故ありがとうなのか。
全く思い当たる節は無いし、意味がわからない。
しかし不思議とその言葉は心に染み渡り、頭上にある空のように気持ちは晴れやかだった。
「こっちこそ、ありがとう、な。」
つぶやいた言葉に、意味はあっただろうか。
その言葉に意味があるのだと知っているかのように、もう一度はっきりと口にした。
ありがとう、と。



黒い影は、ただそこにいた。
座り込んで、ずぅっと遠く、青年が去っていった方を見つめている。
しかし、ふいと立ち上がり、踵を返して静かに去っていく。
黒い影は、もう見えない。
かすかな足音だけを立てて、ゆっくりと消えていった。




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